「もう時間だ。」フレンチは時計を出して一目見て、身を起した。
出口のところで、フレンチが靴の上に被せるものを捜しているときになって、奥さんはやっと臆病げに口を開いた。
「あなた御病気におなりなさりはしますまいね。」
フレンチは怒が心頭より発した。非常なる侮辱をでも妻に加えられたように。
「なんだってそんな事を言うのだ。そんな事を己に言って、それがなんになるものか。」肩を聳やかし、眉を高く額へ吊るし上げて、こう返事をした。
「だって嫌なお役目ですからね。事によったら御気分でもお悪くおなりなさいますような事が。」奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。
フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。
「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それこそ人殺しや犯罪者が気楽で好かろうよ。どっちかに極めなくちゃあならないのだ。公民たるこっちとらが社会の安全を謀るか、それとも構わずに打ち遣って置くかだ。」